2015年05月29日

いよいよ今年も





例年、年賀状は手書きを心がけている。
以前は、表もウラもすべて印刷でやっていた事もあったが、手書きに換えてから、
10年あまりが過ぎた。
心を込めるために手書きをしている訳ではない。
理由は、単純に「字」の上達のため。
棺桶に片足突っ込んでいるような年齢になりつつあるのに、
今更「手習い」もないのだが、
自筆で書いていると、ほんの僅かだが字の上達が感じられる。
また、手書きと言っても、便利さが手伝って筆ペンを使っているので、
上達しても、たいしたものにはならない。
ただ、今年は、硯(すずり)を使って、本当の「筆」で書いてみようと決意している。
いつ買ったものやら、いい硯がある。
そういえば、「南画」を習っていた事があった。  そのときに買ったものだと思う。
白州正子さんの随筆に京都の「愛宕山」のことが出てくる部分がある。
それによると、愛宕山は、良質の硯石が無尽蔵のごとくに採れるとあった。
そして、そこでの職人さんとの出会いがユーモラスに描かれていた。
そんなものを、ついつい読みふけっていると年賀状が書けない。
そこで、焦る思いが募る。
ああ、もう今となっては、元旦に届かない!
「諦めるしかない。」
「いや、諦めるわけにはいかない」
などの変な葛藤をしながら、もっとドツボにハマっていく。
いよいよ今年も、あと最後の数日、
忙しさが増し加わっていくような感じになる。
このような暮れの慌(あわ)ただしい様子を語る落語のネタのマエフリのところ、
寿司屋のおやじとの会話
「おい、寿司屋! 大繁盛で忙しそうだな?」
「忙しいのなんの! 厠(かわや)に行って手を洗う暇もないぐらい忙しい!」
「手も洗わず、そのまま握っているのかい?」
「二つ三つ握っている間に、きれいになるだろう!」
これに似た会話が多くなりそうだ。
忙しさは、すべての言い訳に通じるような感じになるが、
そんな言い訳は通じません。
残すは、あと数日。


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Posted by oudasi at 11:03│Comments(0)ps
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